リビア
(Grwat Socialist Libyan People's Alab Jomhuriyya)
リビアは新婚旅行で行った国なので思い出深いと言えなくもないが、それよりも行って良かったと言える国だった。

ホテルの前(トリポリ)

夕方の旧市街(トリポリ)
日本でリビア・ビザが取れた。実際にリビアに行った友人から教えてもらい、ビザを取った。英文在職証明書(会社のレターヘッド付き便箋使用の事)と、銀行預金残高証明書。航空券発券の旅行会社の推薦状アラビア語表記のパスポート(外務省で現有パスポートに記載)、申請用紙2枚、リビアか周辺国までの航空券のコピーか予約票金7000円を添えて新宿にあるリビア人民局に提出すると約1週間後にビザが取れた。(ビザ取得条件はコロコロ変わっています。必ず人民局に確認してください)


トルコを経由して首都トリポリに着いたのは現地時間で昼過ぎ。入国審査や税関は厳しいと覚悟していたのだが、簡単に通過できる。空港内の銀行で両替しようとしたが、これから出国するスイス人と50$分、両替した。1US$≒0.32LDリビアディナール※2000年11月当時とロンプラにはあったのだが、これは貿易レートらしく普通は銀行で正規の両替をすると1US$≒1.6LDになった。つまり、日本を出る時に予想してた1LD≒約360円から1LD≒約90円となった為、思っていた額の約1/4で旅行が出来る計算になった。

旧市街の中にあるモスク(トリポリ)
このビルのどこかに日本大使館があります。(トリポリ)
日本で見たHPなどの情報によると、秘密警察が多くて「写真撮影をしていると拘束される」と書かれていたので初めはビビリながら盗撮のように写真を撮っている。(そのうち普通に撮るようになったが)
城壁に囲まれた旧市街は、屋根付きの市場(スーク)になっていて、迷路のようになっている。初めは戸惑う事もあったが、慣れてくると「こっちが近道かな?」といった応用も効くようになり、また、観光客がほとんどいない分、市民生活が垣間見えておもしろい。
ダウンタウンには車が多い
(トリポリ)
市場内の布屋(トリポリ)
リビア人で、民族衣装を着た男性を見かけることはほとんど無かった。高級そうな刺繍や銀細工をあしらった、今では祭りでも着るかどうか怪しい衣装は所々で若干売られているのを見つけたが、真っ白の上下にベストという昔の普段着を売っている店は少ない。対して女性用の黒のワンピース(刺繍入り)はそこらかしこで売られているが物価に比べてとても高いと思う。
右の写真の店で、キリムを買った。親父は「ベドウィンのモノで良い物だ」と言っているが、それほどのモノではないと思う。値段はお手頃で「これから国内を観光する」と言うと、快く預かってくれた。彼には、我々がキリムを背にした写真を撮ってもらったが、案の定ピンボケしていた・・・(残念)
絨毯屋の親父
(トリポリ)
毎日のように食べに行った食堂(トリポリ)
泊まっていた旧市街の城壁近くの食堂。初めて行った時から、値段をふっかけられる事も無くリビアを去る当日まで、トリポリに居た時は通い続けた。リビアは補助通貨が無く(本当は有るのかも知れないが)1LDの下は、3/4、1/2、1/4LDの3種類を主に使う。最低単位の1/4LDでも約20円はするし、実際は1/2LDからモノが買えるのでチャイなどは隣国エジプトよりも割高になる。


首都トリポリから飛行機で約2時間。リビア中央のオアシス、セブハから乗合タクシーで2時間。ニジェールへ続く幹線道路沿いにある小さなオアシス、フェジャージは砂漠がすぐそこまで来ていて歩いて見に行くことができる。ここにはホテルと呼べるものは無くY・Hがひとつあるだけで村にレストランは無い。食事は2件しか見つけられなかった商店でおかしを買うか、Y・Hで食事を頼むしかない(有料)。当初の計画では2泊するつもりだったのだが、何も無いが洗濯したボトボトのジーンズが2時間でパリパリに乾くのと、季節的にすごし易かったのが気に入り、滞在が延長された。


オアシスの向こうに砂漠が見える
(フェジャージ)

砂漠(フェジャージ)
すぐそこに大砂丘が見えるので、午前中のまだ涼しいうちに行く事にした。幹線道路沿いにあるY・Hから村を抜け、ナツメヤシの林を通り抜け炭焼き?しているのを横目で見ながら歩く事1時間。・・遠い・・・もっと近くに感じていたのに・・・。ようやく足元がさらさらの砂に変わり、砂丘を尾根つたいに歩いて登って行く。
風が吹くと細かい砂が舞い、美しい風紋が現れる。そして、我々の歩いてきた足跡もきれいに消えていく。・・・?・・・帰り道が消える???こういう時はロクな事を考えない。ここでもし迷っても誰も我々がこんなとこに居る事は知らない・・・流砂に落ちても助けは来ない・・・そんなことは、「ない、ない」と否定しながらも村が完全に視界から消える所までは歩いて行かないのであった。

大砂丘(フェジャージ)

美しい風紋(フェジャージ)
砂丘に出かける前にジーンズを洗い、大して絞ることもせずボトボトの状態で干しました。約4時間程度の留守だったのですがたったそれだけの時間だったのにもかかわらずパリパリに乾ききっていました。恐るべき乾燥力です。
食事はあらかじめ頼んでおくと作ってくれる。準備が出来ると呼びに来てくれるし、一応滞在中はすべて違う内容だった。(少し内容が乏しいと感じた時は、缶ジュースが付いていた事もあったが)

YHのスタッフ(フェジャージ)

岩山に剥き出しで壁画が
(フェジャージ)
Y・Hの正面、道路の向こう側にある岩山には壁画が残っている。どっかのバカが書いた落書きもあるが、下から見ても全然見つけられないので誰かに場所を聞いて目安をつけてから探すといい。壁画にはかつてここも緑豊かな草原だった事を示すような動物が描かれているが、色などは付いてないし、看板も無いので壁画を目の前にしてもあんまり判らない。写真で見ると「ああ、なるほど」と思える。(下の写真は、判りやすいほうだと思う)


このフェジャージもそうだし、もっと南下した村もそうだが、トリポリではあまり見かけなかったのだがアラブ人ではなくアフリカ人が多いように思えた。これは、リビア人によると「かつて多くの労働者をアフリカ諸国から受け入れる政策を取った時期があったためで、そのまま定住した者が多いからだ」との事。「景気が好い時に受け入れた外国人が、不景気になっても国に帰らず、それが問題になるのはどこの国も同じだな」と、思う。

巨大遺跡(サブラータ)

街中をラクダが歩く(セブハ)
フェジャージは起点になる村ではないので、どこかへ移動する時は幹線道路に出て、ヒッチするしかない。我々は、トリポリへ帰る移動日当日に飛行機の離陸に間に合う事を祈りながら早朝からヒッチをした。1時間ほどでセブハの空港まで運んでくれる車(ベンツ)が停まってくれた。運転手は旅行会社の人間で、「これを機会に日本からのお客を受け入れたい」と言っていたが、そんなこと我々に言われても・・・とりあえず「誰か知り合いがセブハに行く事があったら紹介する事」を約束する。(ちなみに、空港までタダで乗せてくれた)離陸時間ぎりぎりに空港に着いたのだが、さすがリビア。しっかり遅れて出発したのは空港で3時間ほど時間を潰した後だった。
トリポリからチュニジア国境へは乗り合いタクシーで移動。国境のイミグレもカスタムも車での越境者は厳しく調べていたが、我々は先頭に「「ヨコハイリ」してあっと言う間に通過。無事、一度も問題を起こすことなく(拘束など)リビアの旅を終えた。現実的に、もう一度行く事があるかと言えば、「行けない」と思う国ではある。しかし、もし何かチャンスがあれば行きたいと思える国であった。リビアに行けた事は、とても良かった。おすすめの国です。(終わり)



遺跡のモザイク(サブラータ)
戻る
Copyright (C) Caravanserai  All right reserved.